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いよいよ今年も凧の季節がやってまいりました。
今年は即位の日がある為明日からのゴールデンウィークが10連休となっています!
浜松市外の方、G.W.のご予定は決まっていますか?
決まっていない方は是非、浜松まつりを見に浜松観光へいらして下さい!
さて、この凧祭りの歴史は以前にもブログで取り上げており、巷では中沢町が法被を復刻デザインに変更する事が取り上げられています
が、此処で当事務所の位置する曳馬地区のローカルネタを。
曳馬地区は所謂『旧町』と『新参町』が混在しており、曾ては曳馬小学校区で凧に参加しているのは昭和11年初参加の助信町のみ(元々は主に八幡中学校区より南方向の旧浜松市[←浜名郡{←敷知郡}浜松町<浜松町時代に曳馬村等から編入された地区を含む>]周辺のみで催されており、旧浜名郡{←敷知郡}曳馬町[←曳馬村{←曳馬下村}]に所属し曳馬中学校区である助信町は昭和期に初参加した為所謂『田舎旧町』に該当します。)でした。
その頃はまだ国民の休日が制定されておらず、凧も5/1~5/5の5日間の時代。
当然5/1・5/2・5/4は登校日でした。
そんな中、浜松市立曳馬小学校では学区内でも助信町から通っている児童に限り(凧参加有無を問わず町民全員)午前授業とする措置(午前授業措置自体は他の凧祭りエリアの小学校でも実施されていました。[浜松凧揚祭研究会『5日間だった頃②』より])が取られ、他町から通っているクラスメイトに羨ましがられながら先に帰れた様です。
当時は凧場も和地山の練兵場跡(現:和地山公園)にて昼過ぎから夕方頃に掛けて行われ、練りや屋台引き廻しも深夜遅く迄行われた時代。
旧き良き時代ですね。
(余談ですが、以前は凧の準備期間から当日頃に掛けて当たり前に食していたもちがつおも気象変動により以前程揚がらなくなったり、凧祭り全体の実施時間も昼過ぎから深夜迄だったのが朝から晩迄へと少しずつ前倒しされたりと、様々に変化していますね。風も少なければ初も減り…)
今年は即位の日がある為明日からのゴールデンウィークが10連休となっています!
浜松市外の方、G.W.のご予定は決まっていますか?
決まっていない方は是非、浜松まつりを見に浜松観光へいらして下さい!
さて、この凧祭りの歴史は以前にもブログで取り上げており、巷では中沢町が法被を復刻デザインに変更する事が取り上げられています
が、此処で当事務所の位置する曳馬地区のローカルネタを。
曳馬地区は所謂『旧町』と『新参町』が混在しており、曾ては曳馬小学校区で凧に参加しているのは昭和11年初参加の助信町のみ(元々は主に八幡中学校区より南方向の旧浜松市[←浜名郡{←敷知郡}浜松町<浜松町時代に曳馬村等から編入された地区を含む>]周辺のみで催されており、旧浜名郡{←敷知郡}曳馬町[←曳馬村{←曳馬下村}]に所属し曳馬中学校区である助信町は昭和期に初参加した為所謂『田舎旧町』に該当します。)でした。
その頃はまだ国民の休日が制定されておらず、凧も5/1~5/5の5日間の時代。
当然5/1・5/2・5/4は登校日でした。
そんな中、浜松市立曳馬小学校では学区内でも助信町から通っている児童に限り(凧参加有無を問わず町民全員)午前授業とする措置(午前授業措置自体は他の凧祭りエリアの小学校でも実施されていました。[浜松凧揚祭研究会『5日間だった頃②』より])が取られ、他町から通っているクラスメイトに羨ましがられながら先に帰れた様です。
当時は凧場も和地山の練兵場跡(現:和地山公園)にて昼過ぎから夕方頃に掛けて行われ、練りや屋台引き廻しも深夜遅く迄行われた時代。
旧き良き時代ですね。
(余談ですが、以前は凧の準備期間から当日頃に掛けて当たり前に食していたもちがつおも気象変動により以前程揚がらなくなったり、凧祭り全体の実施時間も昼過ぎから深夜迄だったのが朝から晩迄へと少しずつ前倒しされたりと、様々に変化していますね。風も少なければ初も減り…)
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中日新聞『浜松・中沢町の代紋 大正期「初代」に』
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監査課 田中
- Posted by 2019年04月26日 (金) | コメント(0)
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